商業美術の発展とタバコ
「たばこ」の製造が民営から専売化されると、販売競争の必要がなくなったため、「たばこ」の宣伝ポスターは約10年あまり街頭から姿を消します。この流れに変化をもたらしたのが、大正から昭和にかけての日本の商業美術の発達でした。
こ の時代に入ると、日本の商業美術家は海外の作品から影響を受け、従来の絵画的なポスター制作から転換を図り、“図案=デザイン”の概念を導入したポスター を制作しはじめます。やがて彼らの一部は“図案家”と呼ばれるようになり、大衆文化のなかで商業美術の時代を切り開いていきました。
こうした時代の流れと重なるように、「たばこ」においても宣伝の必要性が再認識され、その結果、大正4(1915)年にはポスターの制作が復活したのです。
約10年におよぶ「たばこ」のポスターの空白の時代においても、専売局は商品の顔である名称およびパッケージのデザインは重視し、かつての民営企業に負けずおとらずの姿勢で工夫を凝らしていました。
その姿勢と日本の商業美術の発展とが重なり、昭和初期には、当時の商業美術界の第一人者だった杉浦非水(ひすい)や野村昇らが専売局の嘱託となり、アート性の高い「たばこ」のパッケージやポスターを制作していったのです。

昭和5(1930)年に杉浦非水が手掛けたポスター。
彼は三越呉服店のポスターなどを手掛けたことでも知られている。(左)
杉浦の弟子である野村昇が昭和7(1932)年に制作したポスター。(右)





